院長のコラム

福島県における産婦人科医逮捕事件

ちょっとニュースとしては古いのですが、この二ヶ月の間で全国の医療関係者の間に大きな波紋を投げ掛けた事件がありました。メディアでも何度も取り上げられていますので、皆さんご存知かと思いますが、福島県立病院の産婦人科医師が、帝王切開における妊婦死亡により、逮捕されたという事件です。事件の経過や医療界でのその後の大きな波紋については詳しいブログのサイトがありますので、興味ある方はご参照ください(http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/)。

 

この事件のポイントを整理すると、

 

  1. 福島県のどちらかと言うと僻地と言える地域で、産婦人科医師が一人しかいない県立病院で帝王切開手術が行われ、結果として出血多量により妊婦が死亡した。
  2. 全分娩の0.01~0.04%という稀な「癒着胎盤」という病気の合併があり、事前に診断することが非常に難しい病態で、たとえ人員の整った高度医療施設において手術されていたとしても、結果として同じように不幸な転帰をたどった可能性もあること。
  3. 逮捕の容疑が「業務上過失致死罪」、「異状死の届出義務違反」であり、長期にわたって拘留された理由が「逃亡および証拠隠滅の恐れ」であったこと。

ということになると思います。この事件がなぜ医療関係者に大きなインパクトを与えたかと言うと、ひとことで言ってしまうと『明日は我が身』だと皆が感じるからだと思います。

 

生身の人間を扱う医療が、工業分野などと一番違うのは、その不確実性であろうと思います。現代医学がいかに進歩したと言っても、まだまだ救えない病気もたくさんありますし、どんなに成功率の高い簡単そうに見える手術でも、成功率100%という手術はこの世に存在しません。どのような名医でも、手術中の予期し得ない合併症にぶち当たってしまうことはありますし、そのときに教科書通りの間違いのない治療を行っても、結果が裏目に出てしまうこともあります。要するに100%期待通りの結果が出せる保証付きの医療行為というものは存在し得ないのです。

 

私も眼科医になって21年経ちますが、その間には自分が手術を担当して結果的に視力を救えなかった患者さんが何人もおられました(結果の良かった人のことは割とすぐ忘れてしまいますが、救えなかった人はずっと覚えているものです)。誰がどうやってもダメだったかも、というケースもありますし、あの時よりもっと経験を積んだ今の自分が現在の進歩した機械や薬剤を使用して治療したら、もしかしたら救えたかもしれないなと今なら思うケースもあります。しかし、患者さんにはお気の毒ですが、その時の医療水準で考えうる最善の努力を、自分の立場で出来うる限りに全力で行って、その結果が悪かったことで刑事事件になりうるでしょうか。

 

また、現在当院でも毎週のように多くの高齢者に日帰りで白内障手術を施行していますが、内科的に多くの病気を抱えておられる患者さんが多いので、術前には必ず内科の主治医に現在の体の状態や注意事項を文書で問い合わせて確認を取っています。殆どの場合は内科の主治医の先生からの返事は「今は落ち着いていて、白内障手術程度で問題となるものはありません」ということになって手術予定を組むのですが、開業してこの8年の間に、手術予定日まで後2,3週間以内になって突然亡くなられたと連絡をいただいた方が数名はおられましたし、両眼の手術間隔は1、2週間は空けるようにするのですが、片方がうまく行って来週反対の目を手術しましょうね、と言っていたら、内科的に急変して亡くなられた方さえいらっしゃいました。色んな基礎疾患を抱えた体力のないお年寄りを手術するわけですから、間違いのない内科的治療が行われていても、このようなことも残念ながら時にあるわけです。しかし、もし、これが手術の最中に突然死などということになったら、私が刑事責任を問われることになるのでしょうか。

 

若い妊婦さんがお一人亡くなられているという事実は非常に厳粛なもので、関係者に取っては大変お気の毒な結果だったとしか言いようがありませんが、倫理的に明らかに問題があったり、医学的に明らかな人的なミスがあったのではなかった今回のケースでは、誠意ある説明と謝罪や民事的な保障問題は必要としても、警察の介入は行き過ぎだったと私は思います。このようなことが日常化して行くと、医師側も萎縮して、地方の病院ではたとえリスクが低くても手術などやらなくなるかもしれませんし、異常な訴訟社会のアメリカみたいに、白内障程度の手術でも厚さが数センチもある説明書を渡して、生命保険の契約書みたいに隅の方にちっちゃい字で術中死亡の確率が0.000何%で、、とか免責事項が書いてあったりする書類にサインを求めるようなことになって行くかもしれません。もしそんなことになったら、結局は医者のみならず患者さんにとっても非常に不幸なことだと思います。

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