2007年1月30日
前回(1月16日付け)のコラムでフジテレビ系の『発掘!あるある大辞典』の納豆ダイエット(前回のコラムの中でリンクした番組のHPは既に閉鎖されてしまったようです)について書いたばかりですが、皆さん既にご存知のように、1月21日に番組内容ほとんどが捏造であったことが発覚しました。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070122ik06.htm
番組の中でのアメリカでの取材内容や、実験結果の多くが全くの捏造だったということが、週刊誌の取材をきっかけにすぐにばれてしまったとのことで、番組作りの姿勢そのものがあまりにもいい加減、お粗末だとしか言いようがありません。
また、今週になって、今回の『納豆ダイエット』だけではなくて、今まで放送された別のテーマの中にも、多くの捏造があったということが次々と明るみに出てきました。『みそ汁でダイエット』、『レタスで快眠』、『小豆で頭の活性化』などのテーマでも実験結果の改ざんやコメントの捏造が行われていたようです。『レタス』の実験にかかわった千葉科学大の長村洋一教授(健康食品学)が面白い文章を書いておられます。実験内容の捏造だけでなく、番組のディレクターが間違って使ったこの世に存在しない物質名が、放送後にネット上等で引用を繰り返されるうちに、Google検索で1万件以上ヒットする物質名になってしまった、という話でした。
http://www.ffcci.jp/files/255107026722542.pdf
これは、全くの作り話がたった一度のテレビ放送というフィルターを通り抜けただけで、あたかも真実であるかのようなお墨付きを与えられて一人歩きを始めてしまうという点で、テレビというメディアの恐ろしさを如実に物語るエピソードだと思います。
今回の問題は、決して『あるある大辞典』という番組だけの問題ではないと思います。テレビ放送というメディアの、その成り立ち自体が構造的に抱えている問題と私は思います。毎週決まった曜日に次々に放送されることが決まっていて、民放の場合はスポンサーもついて莫大な番組制作費用をかけ、何十人もスタッフを使って、時間に追われながら番組を作る訳です。その企画段階で、「これこれが健康にいいかもしれない」という噂を聞きつけたスタッフが企画書を作り、その『仮説』を証明するために実験を企画して撮影に入るという段取りです。でも、企画段階から放送日までそんなに時間もありません。実験に入る時には放送日も既に決まっている訳ですから、『仮説』通りの結果が実験で出なかった場合でも、タイトルが『納豆はダイエット効果がないことが判りました!』では、番組にならない訳です。
実は私も約20年前に、京大の大学院生になりたてのときに、某国営放送の科学番組(『ためして○○』の前のシリーズ)に実験で出演したことがあります。野菜のビタミンを扱った内容の番組で、その当時、世界に一台しかなかった特殊な電子顕微鏡で野菜の中のビタミンを見てみよう、という実験だったのですが、教授から企画を聞かされて実験の指示を受けたのが放送の約2ヶ月前、収録が放送日の約2週間前で、「うまく行きませんでした」とはとても言えない状況で、駆け出しの研究者としては(出番はほんの1、2分だけでしたが)かなりプレッシャーを感じたものでした。
私も大学院時代や留学中の間は、動物実験主体の医学研究をずっと行っていましたが、医学、生物学の実験というものは、やはり最初に仮説を立てます。過去の論文などを吟味して、『この物質がこの病気と関連がありそうだ』という仮説を立てて、『その仮説が正しいかどうかを証明するためにはこういう一連の実験が必要だ』というデザインを考え、積み重ねられた一連の実験結果を見て仮説が正しいものであったか検証していく訳です。しかし、その仮説が画期的で大胆な仮説であればあるほど、『当たり』の確率は低くなります。要するに『大発見』なんてそんなに出るはずがないんです。ヘタをすると、何年も実験を積み重ねても、意味のある結果が何にも出なかったなんてことも、科学研究ではざらにあるんです。つまり、今回の問題は、番組を作った会社の体質の問題だけではなく、締め切りが存在して次々と映像を作り出していかねばならないというテレビ番組作りの仕組み自体が、科学実験を扱うことになじまない、ということです。
今回の事件の教訓は、『テレビ番組とは所詮その程度なもの』という認識をもってテレビを見なければいけませんよ、ということだと思います。過去のコラム(http://www.furue-nakano.com/column/2005/09_26.html)でも身近な例を挙げましたが、番組を作る側が最初からそういう姿勢、仕組みで作っている訳ですから。