院長のコラム

ノーフォールト

最近読んで印象に残った本を紹介します。

 

『ノーフォールト』岡井 崇著(早川書房)
著者は、バリバリ現役の産婦人科教授です。内容は、「主人公の産婦人科女医が緊急帝王切開手術後に母体死亡という最悪の悪夢に直面し、裁判など次々に試練に見舞われて、、、」という医療サスペンス風の小説なのですが、さすがに最前線の現場に立つ現役の産婦人科医師が書いただけあって、手術の緊迫した場面や困難に直面した医師の心理描写など、いままで普通のライターが書いた医療モノの小説と比べて、非常にリアルです。
この本を読むと、著者の岡井先生が伝えたかったいくつかのメッセージが強く伝わってきます。

 

その一つは、近年の『医療事故』に対する世間の風潮への疑問です。最近、医療訴訟の件数が急速に増加しています。この数年は毎年10%以上も訴訟件数が増えているそうです。それは『医療事故』が増加しているからでしょうか?この本の中でも述べられていますが、私もまったく逆だと思います。自分の専門分野の眼科の世界でも、診断技術の進化、手術機械などのテクノロジーの進歩、術式改良などの医師たちの努力、より有効な新薬の開発などで、『医療事故』=『医療行為によって患者さんに発生する有害な事象』は、むしろ昔よりも随分減ってきたと実感しています。それなのに医療訴訟が激増しているのは、医療を受ける患者さん側の意識が変化してきているからです。医学の進歩はいいのですが、それに対する患者さん側の期待が高まり過ぎ、「結果が良くて当たり前、治らないのは医者のせい」という誤った風潮が一つ。また、医療事故を隠そうとする医学界の古い体質に対する患者側の不信感、また、事故があるとすぐに医療ミスだとセンセーショナルに煽り立てるマスコミの体質にも、患者さんの意識変化の原因があると思います。

 

患者さんたちにご理解いただきたいのは、『医療事故』は『医療過誤(ミス)』とは違うということです。例えばこの小説のテーマの産婦人科に限らず、すべての医療行為、特に手術には『合併症』がつきものです。良い結果を期待して手術を行い、期待してはいなかったことが起こってしまった、それが『合併症』ですが、合併症率がゼロという医療行為はこの世に存在しません。もちろん医師の技量や手術の種類、病気そのものの重さによって『合併症率』はケースバイケースで異なっていますが、最高の技術を持った医師がセオリーどおりの全くミスのない手術を行っても、ある確率で合併症は起こってしまいます。そのような医師側に落ち度のない事故までも『医療過誤』だとレッテルを貼られて裁判沙汰になることが増えるとどうなって行くかと言えば、リスクが高い医療行為に手を出すことなく、『他の誰かが貧乏くじを引く役を引き受けてくれることを期待して、最前線医療現場から立ち去って行く』医師が増えてきます。本の中にも出てきますが、最前線の医療現場の特に産婦人科や救急医療の医師たちの勤務実態は非常に過酷です。朝からトイレに行く時間も削って外来診療をやった後に手術を担当し、当直しても翌日も通常の勤務が続き、それでも大学病院などでは更にアルバイトで外勤もしなければ生活が苦しい、そんな生活は医師ならば誰しも経験があります。それでもそのような過酷な勤務状態に耐えて行けるのは、やりがいがある仕事だと感じているからです。時に医療行為の結果が100%満足のいくものでなかったとしても、出来るだけのことを一生懸命やってくれたと患者さんが認めてくれて、『ありがとうございました』と言ってくれたから頑張れたと思うのです。

 

最近、私の周りでも知り合いの同世代の医師たちから「勤務医を辞めて開業します」という連絡をもらうことが増えています。卒後20年以上経って、それぞれの職場で若い医師たちを指導するような立場で頑張ってきた勤務医師たちが開業するのは、開業医の立場からは、眼科開業医全体のレベルアップにつながるので喜ばしいことですが、医学研究や教育のことを考えるとやはり大きな損失でもあります。以前のコラムでも述べた新人医師の臨床研修制度の改悪でなかなか若手のマンパワーが大学の眼科医局に来なくなったり、医療費削減で人件費が削られて一人の仕事量が更に増えてきたりしただけでなく、困難な治療に挑むために高度な医療を行うほどに上記のような『医療ミスだ!』と訴えられるリスクが増える割に感謝されることも減り、自分の仕事が報われないという意識が強くなっていることなどが、彼らが個人開業に踏み切る一因になっていると想像しています。

 

著者のもう一つのメッセージが、タイトルにもなっている『ノーフォールト』、日本語で言えば『無過失補償制度』です。現在の制度では、医療事故被害者は裁判で『医療過誤』という認定を勝ち取らなければ、経済的救済が受けられません。したがって患者さん側の弁護士は、この小説のように、なんとかして医師側を悪者にしてでも多少なりとも過失があったと認めさせないと、一銭の補償も受けられないのです。しかし、その医療事故が防ぎようのない『災害』的な合併症であったか、あるいは『過誤』であったか、どちらにしても患者さん側の受ける損失は明らかに存在する訳で、何らかの救済が望まれます。出産時の事故による脳性マヒに対してこの『無過失補償制度』を創設したいという動き
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20060809ik03.htm)が近年あります。先日私も参加してきた眼科の白内障手術関連の学会でも、白内障手術後の感染性眼内炎(頻度は低いが最悪の場合は失明にいたる合併症)にもこの制度を創設してはどうか、という講演がありました。この制度の話にはいつも『財源はどうする?』という議論になるのですが、医師も患者も、明日は我が身かもと考えれば少しづつ献金して基金を創るようなことは出来るような気がするのですが、、。(少なくとも医師会関連の政治団体を通じて政治家に寄付するよりは、よっぽど有意義なお金の使い方になると私は思います)

 

医療改革が叫ばれていますが、現在の方向性はアメリカ型の市場経済原理型の医療に向いていて、このままでは医療の貧富格差の拡大、医療訴訟の頻発による医療現場の荒廃、などアメリカの失敗を後追いすることが非常に危惧されます。もっと日本独自の、患者さんへの優しさや、医師の働きがいの尊重を最優先に考えるような医療改革を目指して欲しいなと、色々と考えさせてくれる一冊でありました。

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