院長のコラム

医師不足問題:医療改革の失敗

2007年もあと数日を残すのみとなりました。今年大きな社会問題として取り上げられたことの一つに『医師不足問題』があります。しかしながら、正確には現状は『医師不足』ではく、正しくは『医師偏在』だと思います。10年ぐらい前には、医師過剰問題が叫ばれ,国立大学医学部の学生定員が削減されたくらいです。たった10年で医師が急減したわけではないのです。要するに医師の分布が、田舎から都会へ、勤務医から開業医へ、産婦人科などから内科系へとシフトしたのだと思います。国は今になって、医師不足対策として、勤務医を増やすための診療報酬増額なんかを言い出してますが,全く見当違いも甚だしいです。あるいは原因を判っていながら、自らの失策を認めたくないために隠そうとしているだけかと思います。最大の原因は間違いなく、医療改革政策の目玉の一つとして平成16年から施行された『新臨床研修制度』です。

 

この制度,『プライマリケアがきちんとできるような研修を義務づける』ということで理想はすばらしいのですが、医師の間での評判は決して良くないです。結局,学生時代の臨床実習を2年延長しただけで、研修医は戦力としての医師とは見られず現場ではお客さん扱い、給与は十分に保障され5時までで帰宅,なんていう施設も多いそうです。従来の制度下でも、市中病院でも救急を含む複数科のローテーションなど、立派な研修プログラムを持ち、研修医を全国公募していた病院はいくつもありました。非常にやる気にあふれた医学生は,従来の制度下でもわざわざ選抜試験を受けて、自らを鍛えるためにそういう病院で寝る暇もないようなハードな研修医生活を送っていました。現制度になって卒後2年間の研修プログラムが義務づけられ、医学生たちは研修プログラムと給与、病院の場所などを含む環境・待遇を見て研修先を選択します。結果として人気が集中したのが、大都会にあって、症例数が多く、待遇が良い大病院です。その結果に関しては、以前のコラム(http://www.furue-nakano.com/column/2006/06_16.html)でも書きましたが,この制度の施行以来,医学部を卒業した研修医の分布が大きく変わってしまいました。そして最近になって急に,『医師不足、医師不足、、』と騒がれだしたのは,みなさんご存知の通りです。病院の保険点数を上げたり、医学部定員を少々増やしても、この問題はすぐに解決するはずがありません。まず見直すべきは『研修制度』だと、現場の医師の多くが思っていると思います。

 

この新研修制度は、地域医療を崩壊させただけでなく,もう一つの大きな問題点は新人医師のモラル崩壊にも繋がりかねない点であると,私は危惧します。私も大学の医局で研修医を教育する立場になったことがありますが,医師が育つ過程を見てきて実感したのですが、医者になって最初の2年間の持つ意味は非常に大きいのです。この2年間をどう過ごすかによって、その医師のその後の育ち方が決まると言っても過言ではありません。この大事な修行の時期に、給与とか勤務時間とかの待遇面を重視して勤務先を選ぶようなことをして欲しくありません。むしろ進んでハードな研修環境を選んで自分を鍛えるような姿勢が欲しいのです。大学医局が研修のメインな場所であった時代には、検査や点滴など研修医が小間使いのように長時間こき使われたりして問題があったことは確かですが,それも無意味ではなくて、患者さんのために頑張るというモラルトレーニング的な効果もあったと思います。また自分の意志に反して教授の命令で田舎のスタッフや症例数が少ない研修病院に派遣されることもありましたが,自分の経験を振り返ってもそれも必ずしもアンラッキーではなくて、地方の病院では駆け出しの医師でも仕事をある程度任されて高密度に経験が積めたり,熱心な指導医と出会えてマンツーマンの指導が受けられたり,後で考えると『あの時の経験が自分の医師としての基礎を作ってくれた』と言えるような研修を経験できることも多いのです。また医局制度の時代には,『彼は地方で2年我慢してよく頑張ったから、次はこの大病院へ』なんていうバランスを取る人事も良く行われていましたし,上の先生たちは意外と(?)下の者の働きぶりや性格を見て赴任先を決めていました。そしてこのような人事管理で、地方病院の医師の人員は確保されてうまく回転していたのです。

 

また、もう一つの問題点はこの新研修制度が導入されて以来,地方大学での基礎医学研究部門の活性も低下しつつある点です。大学医学部には、診療,教育,研究という3本の柱があります。臨床医学をやって行く中でも、科学的な物の見方は非常に大事です。基礎研究をして論文を書いたりする経験は、臨床家としての医師のレベルアップにも必ずなると私は思っています。大学医局にいる若い医師が病気の基礎的な研究をしたい時,大学院に進学して基礎医学の研究室に所属して何年かの研究生活を送ることが普通でした。今の医学研究は,チームを作って一つの研究プロジェクトを推進して行くことがよく行われますから、マンパワーが必要です。臨床の医局から入ってくる大学院生が、基礎医学研究を支えている側面もあったのです。ところが,新研修制度の導入で臨床の医局の新人医師が激減し、大学院で基礎研究を希望する若手医師も激減しました。今,地方の大学の基礎医学研究室の中には、発展途上国からの留学生がかろうじて支えている,なんて所も多いそうです。

 

この問題に関する私の正直な感想は、『たった数年でここまで酷い状態になるとまでは思っていなかった』ということです。新研修システムの導入で、あっという間に長い歴史を持つ大学病院の医局制度が弱体化され,地方の病院や産婦人科など特定の診療科が見る見るうちに医師不足に陥りました。これは逆に言えば,地域医療に関する国の無策を今までは大学の医局制度が補って助けていた,ということの証明です。その医局の代わりをするシステムを整備せずに、いきなり研修制度だけをいじって医局を弱体化してしまったわけですから、これは明らかに医療政策の失敗です。厚労省の官僚たちに言いたいのは、『もっと現場を見ろ!』ということです。

 

改革を試みるのはいいでしょうが,明らかに失敗しているのだから、早く修正の手を打たないと、今後数年でさらに地域医療の崩壊が進んでしまいます。地方病院の収入を少々増やすぐらいじゃあ,意味がありません。旧制度に完全に戻すことは不可能としても、大きく舵を切って地方大学の医局にも研修医が戻ってくるような施策を早急に考えるべきです。

 

また最近厚労省が言い出しているように、勤務医の負担を減らすために、時間外診療の点数を増やして開業医に夜も働かせよう、ってのもちょっとピントがずれている気がします。救急外来の現場を見てきた人なら判ると思いますが、夜間の急病人の多くは,検査設備の揃っているところで専門医に診てもらいたいから大病院に集まってくるわけですから。勤務医の負担を減らしたいんだったら、もっと先にやることがあると思います。例えば,『時間と労力と無駄な金ばかりかかる、誰のためにも役立っていない電子カルテの導入の推進』、『事故防止や安全確保のお題目のために、実際にはあまり役に立っていない院内の委員会や会議の設置の義務化』、『医師以外でも作成できそうな役所などに提出するための様々な診断書や意見書の書類作成』など、医療行為以外に勤務医の時間を浪費する会議やペーパーワークがとにかく多すぎるんです。これらを少しでも少なくして,医療自体に使える時間を増やしてあげることが『勤務医の負担を軽くする』ことだと思います。厚労省の官僚たちは、お役所内での会議に明け暮れたり,偉い先生を集めて審議会を作って議論を丸投げしたりしないで,もっと末端の現場の声,要求を吸い上げるためのシステムを作るべきです。誰も見てないような厚労省のホームページ上で『パブリックオピニオン』のご意見メールの募集(http://www.mhlw.go.jp/public/bosyuu/index.html)をいつの間にか行って、それで『一般の意見は聞きました』って言っているようじゃあ、お役所仕事だと言われてもしょうがないんじゃないでしょうか。

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